大規模高速イメージングを用い
海馬の一部の神経細胞が
記憶再生時にシークエンス入力を受け取ることを発見した

ラット由来脳(海馬 CA1 野)

サンプル詳細:カルシウム蛍光指示薬(Fluo-4)
観察手法  :共焦点顕微鏡、正立、蛍光
観察倍率  :60X
撮影年   :2019
顕微鏡データ:動画

石川 智愛慶應義塾大学 医学部・薬理学 助教
高精度な配線が実現する記憶再生時のシークエンス入力
2020 特別賞

受賞コメント

石川 智愛 助教

石川 智愛 助教

この度は特別賞に選出していただき、大変光栄に存じます。

「暗闇で光る線香花火」という素敵な評価をいただきましたが、脳内の情報伝達の様子はとても美しく、いつまで見ていても飽きることはありません。そして、一見無秩序に見えるシナプス入力が数 µm というオーダーで緻密に制御されていることに日々驚かされます。今後も脳の世界を構成する規則を少しでも読み解いていけるよう、研究に邁進していきたいと思います。

このムービーを通して、脳の美しさと精巧さの一端を感じていただけましたら幸いです。

研究の概要

記憶再生時によく観察される Sharp wave ripple3という脳波の発生時に特定のスパイン4が特定の順番で入力を受けるシークエンス入力の存在を発見しました。この入力は近傍のスパインに収束し、方向性を持つことも明らかにしていました。 この結果から、高精度に配線された神経回路では上流のニューロン5集団の発火パターンが下流の一部のニューロンの樹状突起上に表象されることが明らかになり、記憶再生時に特定の発火させるための新たな脳内アルゴリズム6を提示しました。
Ishikawa, T., Ikegaya, Y.
Locally sequential synaptic reactivation during hippocampal ripples.
Science Advances. 2020, 6(7), doi: 10.1126/sciadv.aay1492

Ishikawa, T., Kobayashi, C., Takahashi, N., Ikegaya, Y.
Functional multiple-spine calcium imaging from brain slices.
STAR Protoc. 2020, doi: 10.1016/j.xpro.2020.10012

用語解説

1.記憶再生

新たな記憶の形成時に観察された神経細胞の発火パターンがその後の安静時や睡眠時に繰り返されること。記憶再生と記憶再生時によく観察される脳波が記憶を長期的に保存する上で重要な役割を担うと考えられている。

2.シークエンス入力

特定のシナプスが同じ順番でシナプス入力を受けること。本研究では、上流のニューロン集団で生じた記憶再生が下流のニューロンにおいてシークエンス入力として受容されることを発見した。

3.sharp wave(SW)ripple

安静時や睡眠時に観察される脳波の一種。2-30 Hz の SW と 125-250 Hz の ripple の組み合わせによって構成される。SW ripple と記憶再生は密接な関係にあり、どちらも記憶を長期的に保存する上で重要な役割を持つと考えられている。

4.スパイン

樹状突起上に存在する突起状の構造物で、主に興奮性シナプスの後部(受け手)として働く。シナプス前部から神経伝達物質が放出されると、スパインに存在する受容体に結合し、ナトリウムイオンやカルシウムイオンが流入することで下流のニューロンの発火に貢献する。

5.上流・下流ニューロン

脳内では神経細胞が互いに結合し、ネットワークを形成している。そのネットワーク内で情報が伝達されていくが、情報の送り手を上流のニューロン、受け手を下流のニューロンと呼ぶ。

6.脳内アルゴリズム

神経細胞間で情報を伝達する際のルール。今回新たに発見したシークエンス入力は効率よく細胞体を活性化させると想定されるため、例えばニューラルネットワークに組み込むことで、より脳に近いシステムの構築につながると期待している。

7.シナプス入力

上流のニューロンが発火するとシナプス前部から神経伝達物質が放出され、受け手側(下流)のシナプス後部に存在する受容体に結合するとイオンが流入する。これをシナプス入力とよび、今回の実験では興奮性伝達によるカルシウムイオン流入を蛍光強度変化として捉えている。

8.大規模高速スパインイメージング法

ニポウディスク式のスキャナと CMOS カメラを組み合わせることによって、高速かつ広視野でシナプス入力を捉える手法。平均 200 以上のスパインから 100 Hz での撮影は現時点では世界最大数かつ最速である。

9.ニポウディスク式

ニポウディスクはらせん状に穴の空いた円盤で、これを高速回転させることでレーザーを分割し、多数の点から同時に記録することができる。ニポウディスク式の共焦点顕微鏡を用いることで、高速かつ広視野で、褪色の少ないイメージングが可能になる。

10.膜電位変動

他のニューロンから受けるシナプス入力などによって細胞膜の電位が変化すること。興奮側に傾くことを脱分極と呼び、ある閾値に達すると発火に至る。

11.脱分極

細胞膜は通常、負に帯電している。興奮性のシナプス入力を受けることによって膜電位が 0 に近づくことを脱分極と呼ぶ。脱分極の程度がある閾値に達すると発火し、さらに下流のニューロンへと情報が伝達される。

Q & A

Q1 どのような実験系を組まれたのでしょうか ?

今回の実験は海馬を 300 µm の厚さにスライスし、10 日から 20 日程度培養しました。海馬培養スライスの CA1 野の錐体細胞に電極を密着させセルアタッチ記録を行い、その後陰圧をかけることで細胞の膜に穴を開けます。このとき対象とする神経細胞の周囲 50 µm 程度にもう一本の電極を置き、局所場電位も記録しました。細胞膜に穴が空くと電極に入っていたカルシウム蛍光指示薬が細胞へと広がり、カルシウム濃度変化を捉えることが可能になります。シナプス入力を捉えた後は観察された画像の上に手作業で観察領域を設定し、蛍光強度変化を計算しました。

Q2 今回発見された細胞選択的なシークエンス入力の制御メカニズムはなんでしょうか ?

とても重要な質問なのですが、答えはわかっていません。上流のニューロンと下流のニューロンの結合様式が深く関わると考えられますが、どのような細胞同士がシナプスを形成するのかに関しても明らかになっていないことがたくさんあるからです。また、ニューロンは今回観察した興奮性の入力(脳内のアクセルとして働く)だけでなく、抑制性入力(脳内のブレーキ)なども受け取っているのですが、抑制性入力による調節も存在するのではないかと考えています。

Q3 今回得られた知見と、記憶障害等の疾患との関連性で分かっていることはありますでしょうか。

シークエンス入力は一部の細胞のみで観察されたことから、シークエンス入力の存在が細胞選択的な発火パターンの形成に重要な役割を果たすのではないかと考えています。そのため、シークエンス入力を阻害すると記憶障害なども生じる可能性が高いと推測されますが、シークエンス入力自体が発見されたばかりの現象ですので阻害した実験などは報告されていません。今後、新しい技術などを導入し、シークエンス入力の機能にも迫っていければと考えています。

作品の利用について

NIKON JOICO AWARD 受賞作品の利用方法についてご紹介します。

ABOUT HOW TO USE

審査員講評

  • 学術的に価値の高いものである。
  • 記憶再生時のシナプスのシークエンス入力を、高い空間的および時間的解像度で捉えることに成功しており学術性は極めて高い。またこの現象を捉えた動画は、暗闇の中の線香花火を彷彿させて芸術性も兼ね備えている。
  • スライス標本において、シークエンス入力の存在を示すことに成功した重要な発見である。
  • 高い時間解像度で神経細胞間の情報伝達の場であるスパインシナプスの活動を捉えた画像は価値が高い。